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コラム(H29.9.7)

肥田舜太カ先生のこと

1 肥田舜太カ先生が逝ってしまわれた。今年3月20日,100歳で亡くなられた。
 肥田先生は,広島陸軍病院の軍医だった時(当時28歳),往診先(戸坂村)で急患を診察中に被爆された。直後から被爆者救援・医療にあたり,広島を離れた後も,被爆者の治療や健康相談にあたられた。その中で「内部被曝」の存在に気付き,その危険性について様々な場所で訴えておられた。海外にも何度も足を運ばれ,訪問した国は30カ国を超えていたそうだ。

2 私にとっての肥田先生の一番の思い出は,原爆症認定集団訴訟近畿訴訟(大阪地裁)での証人尋問だ。
 肥田先生は,原爆症認定集団訴訟における専門家証人のトップバッターとして,尋問に立たれた。ご自身の被爆体験から語られたのだが,その時の法廷の雰囲気を,私は忘れられない。大法廷が水を打ったように静まりかえっていて,その場にいる全員が,一言も聞き逃すまいとしているようだった。裁判官も例外ではなくて,主任の裁判官は,肥田先生の尋問を聞く中で,全員勝訴にすべきではないかという心証を取っていたのではないかと思う。肥田先生の訃報を報せる紙面での“肥田先生は同訴訟を勝訴に導いた”という記述を,故人へのリップサービスと受け取る方もいるかもしれないけれど,リップサービスではなく本当にそうなんですと説明したい。
 長時間の尋問でお疲れだったと思うのに,尋問後,「有馬さんはね,私をテストするんですよ,裁判所に向かうタクシーの中で,『DS86ではこうですが・・・』と言ってね」と,冗談も交えながら尋問の裏方を務めた弁護士をねぎらっておられたのも忘れ難い。

3 肥田先生の証言は,なぜ聴く人の心を打つのか。
 肥田先生が「内部被曝」に関心を持つきっかけとなった出来事として語られるエピソードに,松江のご夫妻のお話がある。広島で被爆した夫を探しに,松江にいた妻が,原爆投下一週間後に広島市内に入った。探し回った結果,夫と巡り会えたのだが,その後,妻に急性症状が出始めた。原爆が投下された日に広島にいた夫には何も症状が出ていないのに,一週間後に広島に入った妻になぜ急性症状が出るのか,そして亡くなるのか。
 大阪地裁での証人尋問のための打合せで,肥田先生がこのエピソードを語られた時のことが忘れられない。弁護士事務所の小部屋で,聞いているのは弁護士数人だけなのに,肥田先生は,まるでその場に亡くなられたご本人がいるかのように,斜め下を見ながら,「何故だー」と仰った。肥田先生は,28歳の時に感じた,この「何故だー」という思いで,ずっとやって来られていたんだと思う。そして,その思いは,誰もが共感するもので,誰もが心を打たれるのではないかと思う。

4 今ごろ肥田先生は,天国で,池田眞規弁護士や伊藤直子さん,集団訴訟の原告のみなさんに囲まれて,いつもの笑顔を振りまいてらっしゃると思う。安らかにお過ごしください,いただいたバトンは必ず繋ぎますので,と申し上げたい。
(弁護士 佐藤 真奈美)

※2015年5月23日に撮影 愛須勝也弁護士提供

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