”過払金取り返しのコマーシャル”
テレビで,過払金の取り返しをアピールする法律事務所のコマーシャルを頻繁に見るようになって久しい。私は,弁護士の仕事は,テレビや新聞などの広告にはおよそなじまないものだと思っていた。
サラ金の負債を抱え,整理の必要な人はたくさんいるが,それぞれが違う事情を持っている。債務整理で,弁護士のすべき最も大切なことは,依頼者が借金を抱えて身動きが取れないような状態を二度と繰り返さないようにしてあげることだ。取り返した過払い金を,外の借入の返済に充てなければ生活のめどの立たない依頼者もいれば,簡単に過払金を渡せば,反省もないままギャンブルなどに無駄に使って,また借金を抱えてしまうおそれが高い依頼者もいる。弁護士報酬も画一的に処理ができないことが多かった。他の債務の整理に必要であれば,過払い金の報酬の額を削ったこともあるし,逆に,本人が有効な使い道を見いだすまで取り戻した過払金を預かったこともあった。
依頼者と弁護士がかかわる時間は限度があり,いくら注意したり励ましたりしても,新たに借金をつくって支払い不能になる人も珍しくはないが,弁護士のアドバイスをまともに受け止めてくれてがんばってくれる人もいる。そういう人の明るい顔を見ることが弁護士にとっての喜びだといったら理想論だ,観念論だといわれるだろうか。
サラ金問題は昭和50年代の初めに社会問題化した。昭和39年,43年,44年の最高裁判決などで,古くから利息制限法を越える利息の元金への組み入れ,過払い金の返還は認められていたが,返済の際に領収書を出さない業者も多く,取引履歴を開示させることなどは夢のまた夢という状態であった。弁護士が介入しても,業者はこれを無視して債務者に取立に行く。弁護士が注意をしても,怒鳴り返してくるのがあたり前。債務者は領収書をもらってなかったり,もらっていても一部しか残っていないことがほとんどで正確な利息制限法の充当計算もできなかった。
こういう状態の中,被害者をまとめ行政と交渉し,体を張って違法な取立を阻止し,自ら電卓を叩いて充当計算をして被害の救済にあたったのが,東京の宇都宮健児,大阪の木村達也などを代表格とする全国の若手弁護士(当時)であった。彼ら(私も途中から)は通産省や都道府県に,違法な取立をやめさせ,取引履歴を開示するように働きかけ,出資法の金利を引き下げるように国会要請なども繰り返し行った。昭和58年に施行された貸金業規制法は,取立規制などは実効性があったが,みなし弁済を認めるなど違法金利容認につながるものであった。そのためにみなし弁済規定を無効化させるための裁判闘争なども繰り返し取り組まれた。こういう持続的な運動が功を奏し,平成17年以後画期的な最高裁判決が相次いで出されて,過払金の取り返しが容易に行えるようになった。
今,サラ金やクレジット会社から過払い金を取り返すのに昔のように苦労することはない。利息制限法の充当計算の前提となる借入支払の経過・取引履歴は,通知するだけで業者は送付してくるし,過払い計算はソフトが出回っていて,借入・返済の日時と金額を打ち込むだけでいい。計算の結果過払いが出れば,書面で返還を求める。業者は減額を懇願してくるが,多少の減額に応じれば,まとまった金額の過払い金を返還してくる。原則として訴訟を起こさなければ返還に応じない業者もいるが,訴訟も定型的なひな形通りの訴状を作ればいい。
私は,こんな簡単な作業で,過払い金の2割を超える報酬をとる弁護士が少なくないと聞くが,明らかにとりすぎだと思う。遠隔地の債務者から電話で依頼を受けて,金を取り返すだけの処理をして済ませているとすれば,なおさらである。
"過払いバブルの終焉とともに”
平成19年から出資法の金利は20パーセントになり,今後新しく過払いが発生することはほぼなくなった。過払いバブルはまもなく終わる。できるだけ長く続いて欲しいと公言してはばからない弁護士は,過払いを金儲けの手段としか考えていないといわれてもしかたがない。
過払いバブルは,無理な法曹人口拡大による弊害が表面化することを隠す一時しのぎのカンフル剤という役割を担っていたといえるだろう。
(弁護士 坂本 宏一)
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